(白山本地堂の十一面観音)
お堂の中に入る。思わず頬が緩むのを感じた。
金色の壁と新しさが残る襖や
障子に
いつもの陰影ある観音像のお姿とはだいぶ違う。
ろうそくの織り成す火影の揺らめき、
直線に差し込む陽の光の中に浮揚する小さな塵
と香のたおやかな粒子たち、それらが
一つの連続したつながりの中で作り出していく
世界であるはずであった。
しかし、
眼の前の情景は彼の想いとは大きな差異をみせ、そこにあった。
正面には
展示会のような趣きで須弥壇があり、下山仏七体が横一線に並んでいた。
自ずと目は中央の十一面観音坐像に向けられる。きらびやかな姿である。
金色に輝く
光背に包まれるかのように坐っておられる。両脇の阿弥陀如来坐像、
聖観音坐像
よりも一段高い形であるためか少し威圧を受ける。硬く真一文字に結んだ唇
と
伏目がちな眼差し、柔らかさよりも強さがにじみ出てくる、体全体からもそのような
空気が伝わる。頭上の十一の仏面よりも額の飾りに気が行く。
しかし、中尊である
この像の前に再び仰ぎ見れば、七体の仏像の力がそこに集まるかの
ように我が身に
降りかかる。硬く結ばれた唇が開かれ、今までの己を恥と感ぜよ、
そんな言葉が
聞こえてくるようだ。残照のごとく残る鍍金が連鎖の如き光となって我が目
に
宿り、曇りきった目に一条の光を通そうとしている、
彼はやや苦痛を伴う膝に
意識が行くのを思いながらもじっと観音像と対峙していた。
やがてその呪縛から
解かれた如く大きな息とともに、目を左へと動かし銅造りの
十一面観音の静かな
立姿を見る。すんなりと言う言葉がよく似合い、そんな雰囲気
を醸し出しているが、
70センチほどの高さのためか、他の仏像の中に埋もれている、
そんな考えが
一瞬浮かび、そして直ぐに消えた。
頂上の仏面が目立つが少し硬い頬、やや薄い唇、
すっと伸びた鼻、厳しさのこもる
お顔である。右手は緩やかに手を下へと伸ばし、
細くしなやかな指が何かを差している。
よく見かけるような腰の括れはなく、
衣は静かに下に落ちている。
造られた時は金色であったという、目を閉じ、それを
心の中に描いてみる。
数段大きくなったその像が迫ってくるようだ。
また一つ心の傷が癒えた、そんな気持でお堂を出た。
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