北川の堤防を若狭湾に向かい歩いていくと、「羽賀」と言う道標があり、さらに
進むと杉の木立ちが斑模様の日陰を作る参道が続き、石の階の先に羽賀寺が
顔を見せている。
私を手招きしている様でもあり、ゆっくりと進んだ。
入母屋造りの檜皮葺きの本堂が大木の杉の木々を後背に悠然と立っていた。
この寺は元正天皇の霊亀2年(716)、行基の草創であるが、村上天皇
や後花園天皇、後陽成天皇など多くの天皇の庇護があったという。
室町時代の面影が感じられる建物である。厨司が開いて、すらりとした
十一面観音が、ろうそくの織り成す火影のもとに浮かび上がった。
そのきらびやかさに思わず眼が行った。切れ長の大きな眼、ふっくらとした優しさ
の頬と気品の高い唇、頭上の仏面も含め女性のやわらかさが伝わってくる。
十一面の頭上仏はこの全体の醸し出す空気の中では、むしろ控えめ戴いている
感じが強い。
また、渡岸寺のイメージが強いのか思ったより華奢なお姿であるが、
残っている金色と紅色の彩色の鮮やかさ、天衣の緩やかな流れの先にある
細く伸びた指は美しさ、元正天皇の御影とされたのも、何と無く分かる。
全体に若々しい観音様である。全身から漂う幼いふくらみ、その指、その掌の
清潔で細微な皺、頬に差し込む蝋燭の火影の漆黒と金箔の綾、その鬱したほど長い睫、
小さな額にきらめく池水の波紋の反映に、ひたと静まる空気感がある。
時代は平安初期、檜の一本造りで、このような仏像が、若狭にあった、自分の
不勉強さに思わず目をつむる。
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